『ビートたけしのテレビタックル』の出演やエッセイスト、小説家として活躍中の阿川佐和子(あがわ さわこ)さん。
有名人から話を聞き出すインタビューも続け、誰に対しても臆せず質問するコミュニケーション力が高い人でもあります。
この記事では、60代で結婚してますます輝いている阿川佐和子さんの結婚相手や実家など、気になるプロフィールを調査しました。
阿川佐和子さんは再婚?結婚相手は大学教授
出典:https://woman.nikkei.com/atcl/column/
名前:阿川佐和子(あがわ さわこ)
エッセイスト、小説家、タレント、俳優
生年月日:1953年11月1日
出身地:東京都
身長:150㎝
趣味:ガーデニング、ゴルフ、テニス
血液型:O型
阿川佐和子さんは1953年生まれの71歳です。(2025年1月現在)
テレビで見てもお綺麗で若々しい印象がありますよね。
エッセイストとして数々の本を出版されていますが、特に有名なのが2012年に発売されたエッセイ『聞く力』は百万部を超えるベストセラーに。
そんな阿川佐和子さんは2017年5月9日に63歳にして結婚しています。
この時初めて結婚されているので、再婚ではありません。
結婚相手は慶応義塾大学の元教授で6歳年上の男性Sさんです。
Sさんは離婚経験があり、阿川佐和子さんとは再婚でした。
再婚当時は69歳で大学を定年退職をしていましたが、教育関連の仕事を続けている人でした。
阿川佐和子さんによると、夫は父親と正反対の穏やかな性格で、手料理を作ってもなかなか感想を言ってくれない言葉の発しない人なのだそうです。
結婚相手との出会い
出典:https://woman.nikkei.com/atcl/doors/wol/column/
阿川佐和子さんとSさんは35年前に友人の紹介で知り合いましたが、この時すでにSさんは奥さんと4人の子供がいる既婚者でした。
友人の誘いを受けてSさんの家庭へ新年会で訪問し、その後二人だけで食事をすることもありました。
阿川佐和子さんは、妻帯者であるSさんに対して「もう会わない方がいいと思います」と伝えますが、返事の手紙をもらったことで「また会いたいな」と思っていたそうです。
それから十数年後にSさんと奥さんが別居したと知らされました。
Sさんの離婚が成立したのをきっかけに入籍をしたことから、阿川佐和子さんはSさんに家庭があることを考慮して結婚に踏み切るのを控えていたと考えられますね。
一部では『これって不倫していたと言えるのでは?』と見る人もいるようですが、実際の真相はわかっていません。
お見合いしたのは30回以上
阿川佐和子さんは、父親が亭主関白で母親が専業主婦という家庭環境だったことで、
”小さい頃から自分も専業主婦になることが夢”だったそうです。
21歳の時に初めてお見合いをして以降、これまでになんと30回以上お見合いを経験していました。
お見合いでは自分から断ったり断られたりしましたが、残念ながらご縁はなかったそうです。
過去のインタビューでは、
早くお嫁に行きたいとお見合い三昧です。お見合いしまくって。数打てば当たると思ったけど、当たらなくて。
と語っていました。
ずいぶん数をこなしたと思われますが、ひょっとして阿川佐和子さんの理想が高かったのでしょうか?
阿川佐和子さんは、数々のお見合いエピソードをエッセイにまとめた『阿川佐和子のお見合い放浪記』という本まで出版されていました。
確かに30回以上もお見合いを経験されていたのであれば、色々な話がありそうですよね。
阿川佐和子さんに子供はいる?
阿川佐和子さんは63歳で初めて結婚されていますから、お子さんはいません。
以前自分が子供を持つことついては、
若い頃に結婚していれば、欲しかった子どもに恵まれたでしょう。それだけは人生の悔い。グズグズして成し遂げなかったんだから、しょうがないですね
と、語っていましたので、子供が欲しいと思っていたようです。
阿川佐和子さんの実家について
阿川佐和子さんの実家は東京都です。
家族構成は
|
阿川佐和子さんの父親
父親は作家で評論家の阿川弘之(あがわ ひろゆき)さんというのは有名ですよね。
阿川弘之さんは1920年生まれの広島県出身で高校卒業まで生まれ故郷で過ごし、東京大学国文学科を卒業しています。
さらに家系図をたどると、弘之さんの父親は実業家の阿川甲一さんということがわかりました。
父親の弘之さんはしつけに厳しく、自分中心の理屈を押し付ける家庭だったと語っています。
阿川佐和子さんは、「そんな家庭に生まれたのが不幸」、「叱られたくない」と思い、経済的に自立する日が来るまで頑張ろうと決意をしたことが仕事の原動力になったそうです。
しかし、厳しかった父親の弘之さんも高齢になり、2012年に自宅で頭を打ったことが元でそのまま病院へ入院することに。
2015年に父親が94歳で亡くなるまで3年半の間は定期的に病院へお見舞いに通っていたそうです。
阿川佐和子さんの母親
阿川佐和子さんの母親は、亭主関白の夫に従う専業主婦でとても几帳面な性格だったそうです。
しかし、実家で働いていたお手伝いさんが母親の様子がおかしいことに気づき、認知症を発症していることがわかりました。
阿川佐和子さんも実家に一緒に住むことも考えたそうですが、兄弟同士で交代しながら亡くなるまでの9年半ほど介護をされていたそうです。
阿川佐和子さんの兄弟
長男は1951年生まれで2歳年上の阿川尚之(あがわ なおゆき)さん。
出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/
ニューヨーク州ジョージタウン大学に留学して弁護士になり法律家として活動。
慶応義塾大学名誉教授や、アメリカ合衆国日本大使館の行使をされていたことがあります。
2024年11月、ご病気により73歳で亡くなられていました。
阿川佐和子さんの下には1961年生まれの次男と、1972年生まれの三男がいます。
次男は石原良純さんと慶應幼稚舎の頃の同級生で、良純さんが小学3年生の頃に阿川佐和子さんの自宅へ遊びに来たこともあるそうです。
次男は母親の介護をしている頃はアメリカ在住と言っていたので、現在もアメリカで暮らしているのかもしれません。
三男についてはあまり詳細な情報はありませんでしたが、親の介護時代は途中から海外転勤になったそうなので、海外で勤務されている人のようです。
阿川佐和子さんの学歴
出典:https://www.jprime.jp/articles/-/7911?display=b
阿川佐和子さんの学歴について調べてみました。
|
東洋英和女学院はキリスト教系の私立学校で、普段から『ごきげんよう』と挨拶するお嬢様学校でした。
中学生の頃はグループサウンズブームで、スパイダーズの追っかけをやっていたこともあり、堺正章さん本人から話しかけられたことがあったそうです。
そして慶応義塾大学へ入学したかったのは「かっこいい男の人がいるのでは」と思ったからであり、初めてお付き合いした人は背の高い先輩の男の人でした。
大学卒業後はきちんと就職活動はせず、お見合いをしたりアルバイトをしたり、織物職人になりたくて修行をしていたこともあったそうです。
その後『朝のホットライン』『筑紫哲也NEWS23』でキャスターを務め渡米。
日本へ帰国後に、再び報道キャスターとしてテレビに出演することが増えたようです。
まとめ
この記事では阿川佐和子は再婚?結婚相手は大学教授で子供はいる?実家や学歴を調査!についてくわしくお伝えしました。
阿川佐和子さんは、父親である阿川弘之さんに厳しく育てられ、実家を出たくて早く結婚して専業主婦になるのが夢だったということがわかりましたね。
結果的に晩婚でしたが、年上の元大学教授だったSさんとお幸せに過ごしているようです。
今後も変わらぬインタビュアーとして、エッセイストとしての阿川佐和子さんのご活躍が期待されます。
コメント