愛知県岡崎市出身のバレーボール選手で、日本代表のエースおよびキャプテンを務めている石川祐希さん。
星城高校時代に2年連続で高校三冠を達成し、中央大学在学中からイタリア1部リーグに挑戦。
イタリア強豪チームの主力としても活躍し、「世界一」を目標に地道な努力を重ねるオールラウンダーです。
そんな石川さんの学歴が気になっている方も多いのではないでしょうか?
そこで、このページでは石川さんの学歴について詳しくご紹介します。
愛車や病気についても調査しましたので、ぜひ最後までお読みください。
石川祐希さんの学歴!
絶賛放映中!男子バレー応援して下さい😊バレー界の至宝、石川祐希! pic.twitter.com/fh8CwxoeCG
— 百合とバラ (@chieko131313) July 16, 2025
石川さんの学歴についてまとめると下記のようになります。
学歴区分 | 学校名 | 備考 |
---|---|---|
小学校 | 岡崎市立矢作南小学校 | 愛知県岡崎市 |
中学校 | 岡崎市立矢作中学校 | バレーボール部に所属 |
高校 | 星城高等学校(アスリート特進コース) | 愛知県豊明市、スポーツ推薦 |
大学 | 中央大学 法学部政治学科 | 東京都八王子市、スポーツ推薦、男子バレー部主将経験あり |
岡崎市立矢作南小学校:小学校で芽生えたバレーボールの才能
バレーボール日本代表のキャプテンとして世界を舞台に活躍する石川祐希選手。
石川祐希選手の小学校時代について見ていきましょう。
サッカーから野球そしてバレーボールへ
石川祐希選手が最初に興味を持ったスポーツはサッカーでしたが、地元にクラブがなかったため、小学3年生で野球を始めました。
転機が訪れたのは小学4年生の時でした。
お姉さんのバレーボール部を見学した際にコーチから誘われ、バレーボールを始めることになったそうです。
初めてバレーボールに触れたその日、彼はすぐにアタック(スパイク)を打てるほどのセンスの良さを見せ、「天才」と周りから言われたとのこと。
野球の練習中にバレーボールの試合に助っ人で出場した石川さん。
即座にアタックを決めたことがきっかけで、バレーボールへと本格的に転向しました。
全国大会で頭角を現し文武両道を実践
小学6年生の時には、早くも全国大会でベスト8という成績を収め、その才能が全国レベルで注目され始めました。
石川選手は「見て学ぶ」ことが得意で、上手なプレーヤーを真似ることで自身のスキルを驚異的に伸ばしていったそうです。
また、バレーボールだけでなく、学習塾にも通い、勉強にも力を入れていたのは驚きですよね。
文武両道を実践する小学生だったことが分かります。
運動一家のやんちゃな少年
お父さんは元陸上選手、お母さんは元バスケットボール選手で、ともに実業団で活躍したという運動一家に育った石川祐希選手。
その恵まれた環境が、彼の運動能力の基礎を築いたのかもしれませんね。
小学生時代はやや「やんちゃ」な一面もあったようで、イライラすると家の車を蹴飛ばすこともあったというエピソードが自叙伝で明かされています。
石川祐希さんの自叙伝は『頂を目指して』(徳間書店、2024年6月10日発売)です。
頂を目指して / 石川祐希
怒ってお母様の車を蹴り飛ばす石川少年かわいすぎる😂やんちゃエピソードで笑ってしまった😂
藤井さんの話題にすこし寂しい気持ちになり…色々な要因があって今の祐希くんを作ってるんだなあ、としみじみ…#_読書記録 #読書記録 #読書好きな人と繋がりたい pic.twitter.com/NSHwRFsaj0— ちよこ (@tnskx) August 4, 2024
これは彼が選手として、また一人の人間として歩んできた人生の「喜怒哀楽」を初めて本格的に綴った一冊になります。
お姉さんの影響でバレーボールと出会い、持ち前の運動神経と優れた学習能力を発揮し、早くから才能を光らせたのが石川祐希選手の小学校時代でした。
岡崎市立矢作中学校:地道な努力と大きな成長
世界の舞台で活躍するバレーボール選手、石川祐希選手。
彼の華々しいキャリアの裏には、中学校時代(岡崎市立矢作中学校)の地道な努力と大きな成長がありました。
特に、身長のハンディを乗り越えた経験は、現在の石川選手の原点となっています。
小柄な体格から始まった中学バレー
中学校に入学した当初の石川選手は、身長が約160cmとバレーボール選手としては小柄でした。
この体格差は彼にとって大きな悩みだったようです。
同級生や対戦相手に比べてスパイクが決まりにくく、思うような活躍ができない時期を経験しました。
しかし、彼はこの逆境を決して諦めませんでした。
技術で体格差を克服した努力の日々
小柄な体格でも勝負できるよう、石川選手は技術面の向上に徹底的に取り組みます。
スパイクのコースを工夫したり、フォームを改善したりと、自分より大きな選手に負けないための努力を重ねたのです。
また、攻撃だけでなくレシーブ力の強化にも力を入れ、攻守両面で活躍できる選手を目指しました。
このような地道な練習が実を結び、中学2年で身長が170cm、3年生になる頃には180cmを超えるまでに成長しました。
身体的な成長とともに、エースとしてチームを引っ張るリーダーシップも発揮し始めたのです。
全国準優勝と愛知県選抜への選出
努力の成果は確実に出ました。石川選手が在籍した岡崎市立矢作中学校は、全国大会で準優勝という輝かしい成績を収めています。
さらに、石川選手自身も愛知県選抜に選ばれるなど、この時期の経験が彼のバレーボール選手としてのキャリアに大きな自信を与えました。
石川選手は後に
「身長が低くて不利だった時期、スパイクの打ち分けや守備力アップに取り組んだことでプレーヤーとして大きく成長できた。
その経験が今の自分を支えている」
と語っています。
体格的なハンディを工夫と努力でカバーした中学校時代の経験こそが、現在の彼の強さの原点と言えますね。
星城高校:2年連続で高校三冠を達成
バレーボール日本代表のエース、石川祐希選手。
彼の才能が花開いたのが、スポーツ強豪校である星城高校での日々でした。
史上初の「高校六冠」達成
石川選手は高校2年生と3年生の時に、
- インターハイ
- 国体
- 春高バレー
の主要3大会すべてで優勝する「高校三冠」を2年連続で達成しています。
これは史上初の快挙であり、「高校六冠」として彼の名を歴史に刻みました。
2年連続MVPに輝くエース
チームを歴史的勝利に導いた石川選手は、個人としても輝かしい成績を残しています。
特に春高バレーでは、2年連続で最優秀選手賞(MVP)に輝きました。
これは彼がチームのエースとして、攻守にわたり牽引した証です。
自由な校風とリーダーシップ
星城高校バレー部は自由な校風で知られ、石川選手もキャプテンとしてリーダーシップを発揮しました。
この高校での活躍が、後の全日本代表選出や世界大会出場への大きな足掛かりとなったのです。
彼の高校時代は、才能と努力が結実した黄金期だったと言えるでしょう。
中央大学:中央大学で築いた世界への土台
高校時代に前人未踏の「高校六冠」を達成した石川祐希選手は、中央大学法学部政治学科にスポーツ推薦で進学しました。
この大学時代は、彼が日本国内に留まらず、世界へと飛躍するための重要な礎を築いた時期となりました。
大学1年から三冠達成、そして全日本代表へ
大学に入学した石川選手は、その実力をすぐに発揮します。
1年生からレギュラーとしてチームを牽引し、
- 春季リーグ
- 秋季リーグ
- 全日本インカレ
のすべてで優勝するという「三冠」を達成しました。
この目覚ましい活躍が評価され、大学在学中には史上最年少(当時)で全日本代表に選出されるという快挙を成し遂げます。
2014年の仁川アジア競技大会には、早くも日本代表として出場を果たしています。
全日本インカレ3連覇の立役者と海外挑戦
石川選手は、中央大学バレーボール部のエースとして、全日本インカレ3連覇(1年次から3年次)の立役者となります。
まさに大学バレー界の顔として、その名を轟かせたのです。
さらに、彼は学業とバレーボール部活動の両立を重視し、大学の寮生活でチームメイトと切磋琢磨する日々を送りました。
この期間に、彼はイタリア1部リーグ(セリエA)への短期留学・プレーを2度経験しています。
1年次にはモデナ、3年次にはラティーナと契約し、世界トップレベルのバレーボールに触れ、選手として大きく成長するきっかけを掴みました。
怪我を乗り越え、世界で戦う土台を形成
大学4年時には怪我の影響もありましたが、それでも全日本インカレで3位という成績で大学生活を締めくくっています。
中央大学での4年間は、石川選手が世界で通用するための技術と精神力を磨き、学業と競技を両立させながら、グローバルな舞台での貴重な経験を積んだ非常に濃密な時間でした。
この時期に培われたものが、現在のプロ選手として、また日本代表のキャプテンとしての彼の活躍に大きく寄与しているのは間違いありませんね。
石川祐希さんの愛車
石川さんの愛車については下記のとおりです。
車名 | 型式 | ボディカラー | コメント・エピソード |
---|---|---|---|
フィアット・500X | 334型 | グリージョアルジェント(シルバー系) | イタリアで愛用、スポンサー提供 |
フィアット・500 | 3代目312型 | 記載なし | イタリアでスポンサー提供 |
トヨタ・C-HR | 2代目(欧州) | 記載なし | 日本国内で使用していた情報あり |
こちらは下記のページを参考に作成いたしました。
フィアット・500X
334型/車体色: グリージョアルジェント/左ハンドル/チームスポンサー提供/居住地のイタリアで使用
✅ 出典: 雑誌『週刊文春』 (’20年2月)
❎ 出典: テレビ『火曜サプライズ』 (’20年3月)フィアット・500 “チンクエチェント”
3代目312型/左ハンドル/チームスポンサー提供/居住地のイタリアで使用
❎ 出典: テレビ『THE TIME』 (’21年10月)
❎ 出典: テレビ『情熱大陸』 (’22年4月)トヨタ・C-HR
2代目AX20型/車体色: シルバーメタリック/チームスポンサー提供/居住地のイタリアで使用
❎ 出典: テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』 (’??年??月)引用:愛車DB
歴代愛車について詳しく見ていきましょう。
石川祐希さんがフィアットに乗る理由は?
石川祐希選手の愛車として確実に知られているのは、フィアット500X(334型、グリージョアルジェント=シルバー系)およびフィアット500(3代目312型)です。
どちらもチームスポンサーから提供され、イタリアで愛用されているようです。
テレビ番組『火曜サプライズ』で実際に自身がフィアット500Xを運転している姿が放送されており、その際もイタリア車へのなじみ深さが伝わって来たとのこと。
運転や車の扱いに慣れているように見えたと言われています。
イタリアでの密着取材や車中インタビュー(YouTube等)でも、本人が車をリラックスの場や自由時間の移動手段として自然体で利用していることが確認されています。
石川祐希さんがフィアットを選んだ理由
現時点で公的なインタビューや報道において、「石川祐希選手がフィアットを選んだ理由」について本人の明確なコメントは確認できません。
ただし、彼がイタリア・セリエAでプレーしていることから、
- イタリアの街並みや生活環境とフィアット車の相性が良い
- 現地チームスポンサーからの提供、サポート
- イタリアの日常的な選択肢として自然
といった理由だと考えられます。
つまり、石川選手がフィアットを選んだのは
「イタリアでプレーし生活するうえで最も身近で実用的な選択肢だったことや環境により選ばれている」
という理由のようです。
トヨタ・C-HR(欧州・2代目)
他にトヨタ・C-HR(欧州・2代目)に乗っていたという目撃情報もあり、テレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』で披露されたそうです。
こちらもスポンサーの提供だったとのこと。
日本車を石川選手があえて選んだのかどうかについては言及されていませんでした。
トヨタがスポンサーだったのでしょうね。
石川祐希さんの病気
2025年7月時点で、石川祐希選手が特定の「病気」に罹患しているとの公的な情報や報道はありません。
ただ、グーグルで「石川祐希」と検索すると「病気」や「がん」という文字が表示されます。
これは、2022年に、同じバレーボール男子日本代表の藤井直伸選手が胃がんステージ4であることを公表し、石川選手は藤井選手を応援するメッセージを送ったからです。
バレーボール男子日本代表で、イタリア・セリエAのミラノでプレーする石川祐希が1日までに自身のインスタグラムを更新。2月27日にステージ4の胃がんと診断されたことを明かした日本代表セッターの藤井直伸(東レ)にエールを送った。
引用:スポーツ報知
石川選手自身は胃がんではありませんでした。
ただ、パフォーマンスの変化や「感覚が上がってこない」という不調を感じた時期もあったそうです。
しかし、これは年齢とともにジャンプ力やスピードなど身体的なピークを迎えつつある“進化や順応”の話題であり、「病気」や深刻な故障を指すものではないと考えられます。
石川選手は日々フィジカルトレーニングや体調管理を徹底し、大きな病気や故障から遠ざかりつつトップ選手として活躍を継続しています。
したがって、現在「病気を患っている」と言える事実はないでしょう。
まとめ
バレーボール日本代表のエース、石川祐希選手。
彼の輝かしいキャリアは、小学校から大学までの各段階で築かれたものでした。
小学校ではサッカーからバレーボールに転向し、すぐにその才能を開花。
中学校時代は小柄な体格を技術で克服する努力を重ね、全国準優勝を経験しました。
高校は星城高校に進学し、高校2年・3年時には史上初の「高校六冠」達成という偉業を成し遂げ、2年連続の春高バレーMVPにも輝いています。
中央大学時代は、大学リーグ三冠達成、史上最年少での全日本代表選出、そしてイタリア1部リーグへの短期留学を経験し、世界で戦うための土台を築きました。
現在の彼の活躍を支えるのは、こうした学生時代の努力と経験の積み重ねにあったのですね。
また、愛車はイタリアでのスポンサー提供もありフィアットを愛用。
病気に関する公的な情報もなく、石川選手はトップ選手として活躍を続けています。
石川祐希選手の「世界一」への揺るぎない目標とそれを支える精神力は、まさにこれまでの学歴と経験の集大成と言えるでしょう。
これからも石川選手の活躍から目が離せませんね。
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