久宝留理子が結婚した旦那はSOPHIAの都啓一!現在や代表曲について調査!

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1990年代を彩ったガールズポップの象徴といえば、久宝留理子さんを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

力強い歌声で「男」を大ヒットさせ、一躍トップアーティストとなった彼女。

華やかな音楽活動だけでなく、家庭人としての顔も持ち、夫であるSOPHIAの都啓一さんとの夫婦愛や子育てエピソードも話題になってきました。

ここでは、結婚や現在の活動、そして代表曲について一緒に見てみましょう。

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久宝留理子さんが結婚した旦那について紹介!

久宝留理子さんは2001年、ロックバンド「SOPHIA」のキーボーディスト・都啓一さんと結婚しました。

久宝留理子さんと旦那の出会いは?

詳細は公表されていませんが、同じ業界で活動していたことから音楽関係の仕事を通じて知り合ったとみられます。

二人の間には1男1女の子どもが生まれており、家庭と音楽活動を両立する姿は多くのファンに勇気を与えています。

旦那の都啓一さんは1971年兵庫県生まれ。

松岡充さんらと共にSOPHIAを結成し、作曲や編曲を数多く手掛けた実力派です。

ジャニーズのV6主演映画「COSMIC RESCUE」の音楽を担当するなど、幅広い分野で活躍してきました。

2010年に闘病!

夫婦の強い絆が示された出来事といえば、2010年の闘病生活です。

都さんが「ろ胞性悪性リンパ腫」と診断されたとき、首や脊髄、腹部にまでがん細胞が転移していたと言います。

久宝さんは子どもを部屋に近づけないよう徹底管理し、献身的に支え続けました。

ボーカルの松岡充さんのサポートもあり、2010年11月に夫が寛解を報告しています。

ずっと気丈に支えていた彼女が号泣したというエピソードは感動的ですね。

この経験をきっかけに夫婦の絆はさらに深まり、都さんは書籍『ガンでもくじけない -誰かのために生きること-』(2011年)を出版しました。

そして、2012年にアメリカンホーム保険会社のCMに出演し、CMソングは久宝留理子さんが手掛けた「明日へ」が流れました。

家族の存在がいかに大きな力になったかが伝わってくるエピソードですね。

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都啓一さんの病気後、現在はどうしている?

都啓一さんは闘病後に復帰し、現在もSOPHIAや音楽プロデュースの仕事を続けています。

子どもは芸能活動をしている?

公に芸能活動をしているという情報はなく、一般的な生活を送っているようです。

2021年4月に久宝さんは自身のブログに

「先週は息子が大学入学式でした」

と明かされていました。

このことから息子は2025年時点で21歳くらいだと考えられます。

また娘さんについては「娘はいよいよJK」とのことだったので、19歳くらいでしょうね。

音楽活動をされているのならSNSで配信されていると考えられますが、みつかりませんでした。

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久宝留理子さんの現在や代表曲を紹介!

デビュー30周年を迎えた2020年以降も、久宝留理子さんは音楽活動を止めることなく続けています。

毎年恒例の誕生日ライブやイベント出演に加え、コロナ禍では配信ライブにも挑戦。

2021年には誕生日に合わせたオンライン公演で、全国のファンとつながる時間を過ごしました。

久宝留理子さんの代表曲「男」とは?

代表曲といえばやはり1993年にリリースされた「男」

50万枚以上のセールスを記録し、『NHK紅白歌合戦』でも披露された名曲です。

一度聴いたら耳に残るエネルギッシュなメロディは、今聴いても全く色褪せません。

他にも「早くしてよ」「次の夢」「一途」といった楽曲で90年代の音楽シーンを席巻しました。

家庭を大切にしながらも音楽への情熱を失わない、そんな姿勢が久宝さんらしさだと感じます。

ファンとしては、これからも彼女の歌声を直接聴ける機会が続いてほしいですよね。

公式SNSや公式サイトで情報を更新しているので要チェックです。

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久宝留理子さんがブレイクした理由は?

久宝留理子さんは、1990年代の「ガールポップ」を象徴する、力強さ(パワー)と情熱(パッション)の歌声が特に高く評価されブレイクしました。

当時の女性歌手は、可憐なアイドル系か、自立した女性像を描くシンガーソングライター系に分かれる傾向があったようです。

そんな中で彼女は女性の強い感情をストレートにぶつけるスタイル。

特にヒット曲「男」に代表されるように、高音域でも一切ブレない骨太な声質と、曲のメッセージを聴き手に直接語りかけるような表現力は、多くの女性ファンから

「心の叫びを代弁してくれている」

と熱い支持を集めました。

その歌唱力は、長く続くライブ活動でも、全く衰えを見せていませんね。

紅白歌合戦で着用した「3億円衣装」エピソードとは?

久宝さんが1994年の紅白歌合戦で「男」を歌唱した際に着用したアクセサリーの総額は当時の金額で3億円という破格の値段でした。

これは、スポンサーであるジュエリーブランド「三貴」から提供されたものです。

具体的には、ダイヤモンドをふんだんに使ったティアラ、ネックレス、リングなど、セットで身につけられました。

その豪華さゆえに、久宝さんには専属の警備員が付き、宝石の専門社員も本番中ずっと帯同したしょうですよ。

厳重な警備体制が敷かれていたとのこと。

久宝さん自身、「本物のダイヤモンドは想像以上に重たかった」と後に語っています。

「女性としてあんなに高価なものを身につけられるのは光栄だった」と明かしました。

貴重な体験だったようですね。

この一件は、彼女のブレイクの勢いを象徴する、伝説的なエピソードとして語り継がれています。

「長い下積み生活」もあった!

そんな久宝さんにもデビュー前には地道な努力がありました。

久宝さんは高校卒業後、歌手になる夢を追いかけて地元神戸から上京。

しかし、すぐに音楽で生活できるわけではなかったと明かしています。

メジャーデビューまでの間、彼女は都内で一般事務職の会社員として働いたそうです。

そして、夜や週末の空いた時間を見つけてはライブハウスでの活動を続けていました。

彼女は会社員とアーティストの「二足のわらじ」生活だったのですね。

当時(1990年代初頭)の音楽業界はバブル期の活気が残っていたとのこと。

仕事終わりの打ち合わせは毎晩のように六本木などで朝まで続いたそうです。

お酒が飲めなかった久宝さんはソフトドリンクで付き合いをこなしていました。

この経験が、後のブレイクの土台となるタフな精神力を培ったのかもしれませんね。

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まとめ

久宝留理子さんは「男」の大ヒットで知られる90年代ポップスで活躍しながら、家庭を守る母としても愛される存在です。

旦那・都啓一さんとの夫婦愛、病気を乗り越えてきた絆、そして現在も鳴り止まない音楽への情熱。

どれをとっても彼女らしい生き方ですよね。

これからもライブや新たな活動で、私たちに元気を届けてくれるに違いありません。

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